代表紹介
ビクトワール 代表 亀井理香

見た目を変えて心を元気にする美容家の亀井理香です。
私のサロンでは、主に50代以降の女性の美と健康をサポートしています。
卵巣嚢腫・肝斑・橋本病という女性特有の病いを患った自身の経験と、母親の介護を通して得た経験を活かして、お客様の1歩踏み出すきっかけのお手伝いが出来ればという思いで美容家を10年以上続けています。
エステ・骨格調整・エネルギーワークの3本柱で、女性の顔と体と心のケアを行い、見た目を変えていきながら、心も元気になっていただいて、自分に自信を持つことで、自分を好きになる女性を増やしていきたいと思っております。
顔も心も閉ざされた暗黒時代
私は27才で結婚、28才で長男を出産しました。
初めての育児に奮闘しながら、右腰に重くて鈍い痛みを感じるようになったのは長男が生後3ヶ月の頃でした。
育児の疲れが腰にきていると思い、そのうち良くなるだろうと、やり過ごしていたのですが、ある朝突然、激痛に襲われたのが長男生後5ヶ月のとき。
卵巣嚢腫茎捻転で、卵巣が壊死して破裂寸前。
緊急手術で右側の卵巣を摘出しました。
そのあとからです。両ほほ骨の上にモヤモヤとしたシミが目立ち始めたのは。
それが肝斑だと知り、飲み薬や美白美容液で手入れをするものの、肝斑のシミは増える一方。
36歳で3人目出産。3人目出産後には、2度目の卵巣嚢腫を発症。
残っていた左側の卵巣を摘出したのを機に、肝斑のシミが濃くなったうえに、顔一面に拡がり、あっという間に私の顔は真っ黒になってしまいました。
黒くないのは目のまわりだけ。頬も口のまわりも、鼻筋までも、全てが肝斑のシミに覆われてしまったのです。
鏡を見る回数が減りました。
顔をジロジロと見られているように感じてしまい、次第に人に会う回数も減りました。
幼稚園の送り迎えを家の前まで来てくれるバス通園に変え、パートは飲食店の厨房担当にしてもらい、買い物は夜遅い時間に行くという引きこもり生活は、真っ黒な顔を隠すと同時に、私は心も閉ざしていき、友人と連絡を取ることもなくなりました。
「このままでは終わりたくない」という心の叫びに動き出した私の人生
そんな生活が7、8年続いたある日のこと。パート先の厨房で仕事中に、急に頭の中に浮かんだ言葉がありました。
「私、このまま人生終わっていいの?イヤだ!このままで終わりたくない!」
この言葉に、私の心は突如動かされました。
誰かに「目を覚ませ!」と頭をガツンと殴られたような感覚。
自身の心の叫びにハッとさせられたのです。
「今の自分にできることは何か?何がしたい?」と考え、2度の入院手術の経験で、辛い気持ちに寄り添ってもらえず苦しい経験をしたこともあり、その経験を活かして看護助手の資格を取ろうと決めました。44才のときでした。
そんなタイミングで美容サロンの手伝いのオファーをいただいたのです。
自分で考えて、自分で決めて、行動を起こしたことで、それまで止まっていた私の人生の歯車が動き始めたのを感じました。
看護助手の勉強をしながら美容サロンを手伝うのは、主婦としては、かなりタイトなスケジュールで大変な毎日でしたが、やりたいことを見つけ、又、誰かに必要とされていることが嬉しくて、どちらも夢中で取り組みました。
「人はいくつからでも変われる」奇跡の体験が私の原点となる
美容サロンでの研修期間中に、その奇跡は起きました。
特殊電流機器による「PNFエステ」という施術を教わり、復習のために自分の顔で練習を重ねていくうちに、自分の顔が変わってきていることに気づいたのです。
肝斑で真っ黒だった私の顔が少し白くなっていて、肌にハリツヤも出てきて、目つきや顔つきまでもが変わっている。
鏡の中の私は、2週間前の私とは別人でした。
「あんなに真っ黒だったのに、こんなに変われるんだ」
「肌が変わっただけで、こんなに明るい顔に変われるんだ」
「鏡を見るのが、こんなに楽しくなるなんて!」
目の前の扉が大きく開いたような、その扉の向こうから光がたくさん差し込んでくるような感覚。
「ああ、人は誰でも、いくつからでも変われるんだ」
顔の見た目が変わったことで、心に元気を取り戻せた自身の経験を、たくさんの女性に伝えていきたいという思いが大きくなりました。「美容家一本で活動していこう」と決心をし、いったん看護助手の勉強を中断することにしました。それが45才のときでした。
「あきらめなければ、人はいくつからでも変わることができる」
「このまま自分の人生を終わりたくない」という思いと、美容サロンとの出会いが私の人生を大きく変えるきっかけになりました。私自身に「変わりたい」という思いがなければ、きっと私の人生は何も変わらないまま、人目を避けて生きていたでしょう。
しかし、自分自身で変わりたいと強く願い、あきらめることがなければ、人はいくつからでも変わることが出来ます。
「もう年だから」「もう頑張っても無理でしょう」と自分の人生をあきらめかけている人にこそ「あきらめなければ、人はいくつからでも変わることができる」ということを伝え続けたい。そんな思いで日々お客様と向き合っています。
10年以上経った今でも、この言葉は私の中で大切な思いであり、この仕事を続けていくうえで大切な軸になっています。
「女性の勝利」という名のサロン
美容家として日々、お客様の顔に触れさせていただきながら、知識の向上を目指して、美容の勉強を深めていくうちに、筋肉・リンパ・骨格といった肉体的なケアも美容には欠かせないと気付き、本気で女性の見た目を変えるには、体の施術も必要と思い、整体・リンパケア・骨格調整の技術を3年かけて取得。
顔と体の両方をアプローチできる美容家となった48才のときに、「ビクトワール」という名前のサロンを開業しました。
ビクトワールはフランス語で「勝利」という意味です。
私は自身の経験から「昨日の自分に勝つ」ことが自分の輝きを増すことにつながると知りました。
私のサロンに来てくださるお客様にも、その勝利をつかんでいただきたいという思いで、ビクトワールと名付けました。
世の中には、以前の私のように「何か」が原因で生きづらさを感じている女性がたくさんいます。
でも、今の私のように「何か」がきっかけで人生を一変することもできます。
「人は誰でも、いくつからでも変わることができる」
この私の思いを形にしたのが、美容整骨エステサロン ビクトワールです。
サロンを開業してからは、顔や体に触れながら、お客様のお話を聞く機会が非常に多くなりました。
私とお客様の2人だけの空間では、施術を受けていくうちに心もほぐれていくようで、悩みや抱えているストレスなどを打ち明けてくださる方が、日に日に増えていったのです。
看護助手を目指したとき、患者さんの心に寄り添った仕事がしたいと思っていたので、美容家として、お客様の心に寄り添えるようになったことをとても嬉しく感じています。
エネルギーワークとの出会い
サロンを開業して3年目のこと。
85才になる母が、骨粗鬆症から腰椎の圧迫骨折を発症。
入院と通院で治療を続けるも、背骨すべてが圧迫骨折となり、痛みがとれたときには、腰が90度に曲がったままという不自由な姿になっていました。
「曲がった腰がまっすぐになることはありません」と医師に告げられ落胆する母。
女性の美と健康をサポートする活動をしている私なのに、骨がもろくなった母には、してあげられる施術が何ひとつなく、そこから介護生活が始まったのです。
ですが、母に起こった最大の試練は、私の美容家としてのスキルを格段にあげる分岐点でもありました。
「施術以外で、私にできることは、もうこれしかない。これにかけてみよう」と、母のためだけに「エネルギーワーク」を学ぶことにしました。
整体も骨格調整も施せない母にしてあげられることは、もうエネルギーワークしか残っていなかったのです。
エネルギーワークとは
エネルギーワークとは、肉体へのアプローチ、筋肉や骨へのアプローチ、思考や精神面へのアプローチなど、あらゆる側面からエネルギーを流すことで、不調和な部分を調整していく作業です。
圧迫骨折発症から2年後、母にエネルギーワークを施せるようになった日のことは、今でも鮮明に覚えています。
腰が曲がり、両足を広げないと立てず、膝が曲がり、体が右へ傾いてしまっていた母が、60分のエネルギーワークを終えたあと、力まずに立つことができたのです。
一番大きな変化は、右への傾きが、ほぼ見られなかったこと。
これには本当に驚きましたし、母も私も心から喜びました。
毎週、エネルギーワークを施すうちに、母が自分一人でできることが増えていき、今では買い物から掃除・洗濯・炊事まで、すべてをこなすまでに回復。
介護が始まったら終わりがないと思っていたのですが、エネルギーワークを続けることで、介護を卒業するという奇跡的なことが起きたのです。
ここでもまた「人は、いくつからでも変われる」ことを思い知りました。
見えない力がお客様に届くまで
これを、私と母だけの奇跡で終わらせてはいけない。エネルギーワークを必要とする人は、たくさんいるはず。母の変化を肌で感じながら日に日にこの思いは大きくなっていきました。
ただ目に見えないエネルギーワークと言う言葉を表に出せば、不信感を抱かれる可能性もあり、メニューとして表に出すかどうか自分の中でも葛藤がありました。
それまで普通の美容家として私を信頼してくださり、顔や体のケアを任せてくださっていたお客様たちが「なんだか怪しい」と思い、離れていってしまうのではないだろうかという不安。
10年かけて築いてきたサロンの信用が、一瞬でなくなってしまうのではないかという恐れ。
目に見えない力で母と私に奇跡をもたらしてくれたエネルギーワークなのに、必要としてくれているお客様のために使いたいと願ったとき、私の心は目に見えない恐怖でいっぱいになったのです。
何日も悩みました。私とサロンが傷つかないために、エネルギーという言葉を使わずに、ぼんやりした言葉で発信してみたこともありましたが、弱腰で伝える言葉は人様の心には届きません。私は、自分の中のモヤモヤした気持ちと何日も向き合いました。
私が本当にやりたいことは何?本当に伝いたいことは何?
私が本気で役に立ちたいと思っている人は誰?
エネルギーワークと言う言葉を使うことを恐れて、自身の立場を守ることよりも、私にはするべきことがあるではないか!
介護という目に見えない鎖で体も心も時間も、がんじがらめに縛られて、お互いがストレスを抱えていた私と母を救ってくれたのはエネルギーワークではなかったのか!
それを伝えることを恥じたり恐れたりする必要が、どこにあるのか?
「あきらめなければ、人はいくつからでも変わることができる」という、まだ目に見えない理想の未来を現実にしていくのが私の仕事なのだという原点に戻れたとき、自信を持って「エネルギーワークをしています」と発信することができるようになりました。
私の迷いがなくなってからは、エネルギーワークを必要としてくださるお客様が、自然とサロンに集まってくるようになり、今ではサロンを代表するメニューのひとつとなっています。
たどりついた私の使命は「50代以降の女性のサポート」
現代社会では、女性は非常に多くのものを背負っています。
生活環境では、家事・育児・仕事・介護など。
私のような卵巣嚢腫や橋本病や、女性の閉経がきっかけで肌の調子が変わって悩んでいる方も多くいらっしゃるでしょう。
体型の変化に悩んでいる方、めまぐるしい体調の変化に疲弊している方なども、おられるのではないでしょうか。
美容家として、このような肉体的・精神的な疲れが、女性の顔の老化を早めてしまっていると感じずにはいられません。
私にできることは、エステ・骨格調整・エネルギーワークなどの施術を通して、まずは見た目を変えること。
「今からでも変われる」ことを体感していただくことで、心に元気を取り戻していただく。
元気になった心は、自分自身を強くします。
自分に自信をもち、自分を好きになることができれば、自分の人生をしっかり楽しんでいきられるようになります。
ずっと元気で、ずっと笑顔で、自分の人生を自分の足でしっかり歩んでいける女性が増えることを目指して、これからも50代以降の女性をサポートし続けていきます。